勝つために、誰よりも早く行く。中井飛馬の思考は、どこまでもシンプルだ。

5歳でBMXにまたがり、物心ついたときには年齢ごとの世界選手権でサバイバルを繰り広げていた。骨折を何回繰り返そうとも、日常の一部となったペダルを漕ぎ止める選択肢は彼の辞書にない。

コンマ一秒の数字を削り落とす泥臭い世界に身を置きながら、彼は「ON」のサポートを受けて次なる大舞台を見据えている。期待以上の結果を出すために、自ら工夫し、執着するーーそのアスリートとしての輪郭は、働く上でのマインドと、深く、確かに共鳴している。

「世界一」が身近にあった負けず嫌いの原点

社会人としてのキャリアを自ら選び取るように、中井飛馬がBMXのレールに乗ったのは必然だった。

父親がバイク関係のアパレルを営んでいた環境もあり、2輪のカルチャーはごく身近にあった。5歳のとき、店の客から勧められたのがBMXとの出会いである。

「僕の家の周りにはスケートパークがなくて、レースコースしかなかったんです。だからパークとかストリートなどのいくるかあるジャンルからレースを選んだというよりは、自然にそれ(BMXレースという競技)を選択したという感覚です。」

物心ついた頃から、とにかく負けず嫌いだった。その性格は、海外勢と渡り合うための絶対的な武器となる。BMXレーシングの世界には、子供から大人まで年齢ごとに細かく区切られた世界選手権が存在する。

すなわち彼にとって、「世界一」に輝くチャンスはすぐそこにあった。そして、小学校の卒業文集には、すでに「夢はオリンピック」と書き込んでいた。

「海外のレースに行くと、外国人選手が激しくプッシュしてくる。その勢いに負けて自分の走りができなくなる若い日本人の選手は多いんです。でも、僕はちっちゃい頃から『おい、どけよ』という気持ちでいられた。BMXの競技においては、この性格もプラスに作用していると思います」

中学時代からは年に2回、それぞれ2ヶ月ほど単身でアメリカへ渡る生活を送り、スポーツを支援してくれる高校に進学してからは、怪我の時期を除いて大半を海外で過ごした。言葉の壁や過酷な環境にも「いけるっしょ」と軽快に飛び込んでいくタフネスは、幼少期からのサバイバルの中で自然と培われたものだった。

鎖骨は6回折った。痛さよりも「時間を奪われるもどかしさ」との戦い

中井が主戦場とするBMXレーシングは、タイムではなく純粋な「着順」を競う。1周30〜60秒ほどのコースを8人で走り、たとえ全員がクラッシュしようとも、最後に一番早くラインを越えた者が勝者となる。

ルールに抵触しない範囲であれば妨害も接触も厭わない、極めて激しいコンタクトスポーツだ。それは当然、怪我のリスクにもつながる。これまでに手首、鎖骨にいたっては6回骨折してきた。しかし、彼が最も恐れるのは肉体的な痛みではない。

「怪我の痛みや手術の辛さよりも、せっかく作り上げてきたコンディションが落ちてしまうことの方が圧倒的に嫌なんです。僕らは一瞬の爆発力を競うスプリント競技なので、技術だけでなくパワーの維持が不可欠。2〜3ヶ月走れない期間ができると、また長い時間をかけて身体を作り直さなければならない。そのもどかしさが一番のストレスですね」

コンマ数秒の数字を削るために、毎日ジムで数値を追いかけ、スタートのタイムを100分の1秒でも縮めようと工夫する。一瞬のミスや、前を走る選手の転倒に巻き込まれるだけで準決勝敗退が決まる世界だ。何ヶ月も積み上げてきた努力が理不尽に瓦解する瞬間、多くの選手が精神的に摩耗していく。

その過酷なアップダウンの中でメンタルを保つため、中井は徹底したセルフマネジメントを行っている。怪我での離脱期や日々の練習後は、コーヒー、カメラ、音楽といった自身の趣味に没頭し、BMXとは全く関係のない時間を意図的に作る。

「僕らにとって、このスポーツは引退して完全に辞めるという性質のものではないんです。サーファーのおじさんが日常の一部として海に入り続けるように、トップ現役を退いたとしても、これからも当たり前に乗り続ける。ライフスタイルそのものだからこそ、適度な距離の保ち方も自然と身につきました」

偶然の出会いと“ノリ”から始まった「ON」とのタッグ

2026年現在、中井はフランスやアメリカでの活動を経て、拠点を日本の名古屋へと移している。国内外を転戦し、今年後半から本格化するオリンピック選考レースに向けて牙を研ぐ日々だ。

そんな彼の活動を現在ONがスポンサーとしてバックアップしている。異色とも言える両者の出会いは、中井のヘルメットデザインを手がけるグラフィックデザイナー・GUCCIMAZEとの旅行先だった。

「その旅先に、たまたまONのTSURUさんも来ていらっしゃって。一緒にご飯を食べたりして仲良くなったんです。で、その場で話が盛り上がって、僕から『スポンサーになってくれませんか』とお願いしてみたら、『ええで』と快諾してくださって。そこからグッチくんも巻き込んで、一緒に何か面白いことをやろう、と動き出しました」

会社組織の枠にはまらない自由な空気感、そしてアートや映像といった共通の話題で深く盛り上がれるカルチャーへの理解度。ONが関わる「COSMOS JUICE TOMIGAYA」には元々中井の友人が働いていたこともあり、彼がONという存在に惹かれたのは自然な流れだった。

「僕は日本の大半の人よりは、海外でいろんな面白いもの、かっこいいものを見てきた自負があります。将来は、実家の服屋のルーツも活かしながら、アパレルやレストランが融合したような、クリエイティブで穏やかな場所を自分で作れたらいいなと思っています。今の時代、何か一つの職種に絞る必要はない。ONが多角的に面白い空間を形にしている様子は、自分が将来やりたいことのビジョンにすごくシンクロしているんです」

期待以上の数字を出す。アスリートの思考がそのままビジネスの熱量になる

なぜ、ONの採用サイトに一人のBMXライダーのインタビューが掲載されているのか。その問いに対する明確な答えは、中井が語る「働くことへのマインド」の中にあった。もし自分が一般的な会社組織に属したとしたら、どう動くか。彼の口から出たのは、極めてプロフェッショナルな成果主義の思考だった。

「会社で働いた経験はありませんが、もし何かプロジェクトや仕事を任されたとしたら、間違いなく『期待されている以上の結果』を出そうとするはずです。オフィスに行く必要があればいくらでも行くし、リモートでできるなら海外からでも成果を出す。場所や形式はどうでもよくて、置かれた場所でどう結果を出すかにコミットします」

彼が知る引退後のアスリートの中には、ビジネスの現場で「周りとははたらく熱量が違いすぎて浮いてしまう」と悩む人間もいるという。毎日ジムで数字を追いかけ、コーチの指示を鵜呑みにせず、タイムを縮めるために自ら新しいトレーニングを工夫して取り入れる。その「目的のために自発的に思考し、数字に執着する」というアスリートの行動特性は、そのまま優秀なビジネスパーソンの動きと合致する。

「会社で『この数字を伸ばせ』と言われたら、言われた通りにやるのは当たり前。その上で『目標を達成するために、他に自分ができるアプローチはないか』を自発的に組み立てていく。アスリートのそういう思考法は、働く上でも全く同じだと思うんです」

泥臭く結果を追い求め、期待以上のクオリティで成果を出す人間を、ONはジャンルを問わず全肯定し、サポートする。中井飛馬という存在は、ONが求める「ともに働く仲間」の理想像そのものを体現している。