世界的デジタルアワード「The Webby Awards 2025」において、株式会社ONのリクルートサイトが「Websites:Employment」部門で最優秀賞を受賞した。GoogleやNetflixといった世界的企業と並び、日本の小さなクリエイティブチームが「世界一」の称号を手にしたニュースは、業界に大きな衝撃を与えた。

2025年に同社の新社長に就任したMai Ohtaniのキャリアは、意外なほど「どん底」からのスタートだった。50社におよぶ不採用通知、1Kのマンションから始まったON創業期、そして早稲田大学のMBAで経営を学びながら見据えるクリエイターの未来。世界を射抜いた表現の裏側にある、泥臭くも熱い信念を紐解く。

スヌープ・ドッグと同じ舞台へ。NYで噛み締めた「世界一」の重み

その知らせは、あまりにも唐突だった。The Webby Awardsにはエントリーはしていたものの、まさか自分たちが選ばれるとは夢にも思っていなかったと振り返る。

「最終選考に残ったという共有は受けていたんですが、まさか大賞なんて。投票制の数字もそれほど高くなかったので、発表を見た瞬間は『えっヤバい、本当!?』という言葉しか出てきませんでした」

授賞式が行われるのはニューヨーク。しかも発表からわずか2週間後。当時、早稲田大学院(MBA)の必修授業で多忙を極めていたMaiは、半ばパニック状態で渡米の準備を整えることになった。会場に着いて、事の重大さを改めて突きつけられる。過去の受賞者にはスヌープ・ドッグやFKAツイッグスといった世界的アーティストの名が並び、壇上には名だたるグローバル企業のリーダーたちが集結していたのだ。

「メインで受賞される方々の名前を見て震えました。『私、どう振る舞えばいいんだろう』って。レッドカーペットも、どう歩けばいいか必死に調べて(笑)。緊張しすぎてカメラマンの前を早歩きで通り過ぎてしまったのは、今となってはいい思い出です」

法学部で「8単位」。債務整理の現場で知った進むべき道

今でこそ世界一のアワードを手にした企業に身を置くMaiだが、その学生時代は決して「エリート」とは呼べないものだった。明治学院大学法学部に在籍していた当時は、勉強よりもDJ活動にのめり込んでいた。

「もともと勉強は好きだったはずが、音楽が楽しすぎて……。大学2年生の時の取得単位は、8単位。3、4年生で死ぬ気で頑張ってなんとか卒業しました」

就活の時期になっても、周囲が銀行や商社を目指す中で「せっかく自由になれたのに、また窮屈な世界に戻るのか」と違和感を拭えなかった。唯一興味のあった法律事務所に内定し、内定者アルバイトを始めたが、そこでキャリアの決定打となる光景に出会う。

「債務整理をメインにする事務所で、最初に担当したお客様が、人生のとても辛い局面にいらっしゃる方だったんです。当時22歳の私にはとても考えさせられる経験で。その時に、『誰かの人生を支える仕事も尊いけれど、私はもっと前向きに、誰かに夢やワクワクを届けられる仕事がしたい』と、強く感じたんです」

その日のうちに、内定を辞退した。テレビで見た「デザイナー」という職業に一筋の光を感じ、Macも触ったことがない状態から独学でポートフォリオを作り始めた。しかし、未経験の壁は厚く、50社で不採用。「専門学校に行き直そうか」と絶望していた時、知人の紹介で現在の代表・TSURUと出会う。

「ONを立ち上げるから、ゼロからやってみないかと言われました。もう後がない私は『ゴミ拾いでも掃除でも何でもやります!』と、その場で飛び込みました。振り返れば、そこから私のクリエイター人生が始まったと言えますね」

1Kマンションからの旗揚げ。泥を啜った「受託20案件」の時代

創業当時のオフィスは、墓地の横にある1Kのマンション。「シェアオフィス」という名の、生活感が漂う場所だった。Maiは当時の光景を昨日のことのように語る。

「朝出勤すると、横で誰かが寝ているのが当たり前。キャッシュもないので、クラウドワークスやランサーズに応募して、とにかく実績を作ることに必死でした。法務局に会社の設立書類を出しに行くところから、代表と一緒に手探りで進めていったんです」

実績を積むために、代表が取ってきた案件には何でも食らいついた。未経験のまま、ECサイトのフルスクラッチ案件を一人で任されたこともある。

「代表が『これ読んでおいて』と渡してきたのが、開発の本ではなくECサイトの『運用の本』(笑)。『どうしよう、全然わからない!』って……当時はChatGPTもないから、いろんな人の力を借りて、文字通り涙を流しながらなんとか納品しました」

多い時は一人で20案件を同時並行で回した。土日もなく、週3回は会社に泊まり込む。徹夜明けの朝7時に納品するような、無茶なスケジュールが常態化していた。

「周りの制作会社の人に相談しても『クリエイティブの世界ってそういうもんだよね』と返される。業界の常識に絶望していました。でも、今はこの体力があっても、いつかは限界がくる。この働き方を変えなければ、クリエイターに未来はない。その強い危機感が、今の経営方針の原点になっています」

働き方を再定義する。5年をかけた「ビジョン」の視覚化

転機となったのは、納品本数に追われる受託から脱却し、大手企業のプロジェクトに深く入り込む「プロジェクトベース」の働き方へのシフトだった。

「サービスが世の中にどう機能するかを深く考える。時間に余裕ができたことで、初めてデザインに魂を込める思考の時間が持てるようになりました。テレビCMと連動したLPが世に出た時の高揚感は、今でも忘れられません」

この「思考するデザイン」の集大成が、Webby賞を受賞したリクルートサイトだ。制作チームのTabuchiやエンジニアのTakahashiと共に、構想から完成まで実に5年の歳月を費やした。

「見た目がかっこいいだけのサイトなら、すぐ作れたかもしれません。でも、そこにONのビジョンがなければ意味がない。弾幕が飛び交い、次元式に光が爆発するーーそんな常識外れの実装も、すべては『規制や固定概念を壊す』という私たちの姿勢を表現するためでした」

2025年6月12日、Maiは自身の誕生日にONの取締役社長に就任した。個人のスキルを磨くフェーズから、組織としての責任を背負うフェーズへと脱皮した瞬間だった。

「前代表からは数年前から打診されていましたが、経営を体系的に学び、自信を持って引き受けられるようになるまで待ってもらいました。今は自分のことよりも、ONメンバーの人生をどう豊かにするかを一番に考えています」

ONが描く未来ーーすべてのメンバーが「表現」で生きていける場所に

現在のONには、ユニークな経歴を持つクリエイターが集まっている。アーティスト、救命病棟の看護師、世界的なダンサー。異業種から飛び込んできた彼らが、今や第一線のクリエイターとして活躍している事実は、Maiの誇りだ。

「共通しているのは『やり切る力』があること。1つのジャンルで本気で打ち込んできた経験がある人は、デザインの世界に来ても絶対にのめり込めるんです。最初Macが触れなくても全然関係ありません。寝食を忘れるほど夢中になれる人なら、ONはいくらでも背中を押します」

Maiが目指すのは、会社がクリエイターを「囲い込む」ことではない。ONをプラットフォームとして使い、自立して羽ばたいていくことを推奨している。

「独立してフリーランスになってもいい。またチームを組んで、新しいものを一緒に作ればいい。クリエイターを縛るのではなく、そのキャリアを全力でバックアップしたいんです。クリエイターの地位をもっと向上させたい、その一心です」

そしてこの1年で大きく変わったのが、AIとの向き合い方だ。クリエイティブ業界の中でも、デザインの作り方や進め方が、短期間でガラッと変わってきている。ONでは、AIを敵ではなく「最強の相棒」として迎え入れるスタンスで取り組んでいる。

「AIを取り入れてからは、スピードもクオリティも一段上がりましたし、これまで諦めていたアイデアにも挑戦できるようになってきました」

Webby賞を受賞して1年。ONはここからさらに面白くなっていく、とMaiは語る。インタビューの最後、Maiはこれからこの世界を目指す人たちへ、優しく、しかし力強い言葉を残した。

「仕事が楽しくなければ、クリエイターでいる意味はありません。私自身、大学のとき8単位というどん底からニューヨークまで来られた。夢を叶えるのに、遅すぎることも、背景が不十分なこともないんです。現状に満足せず、本気でワクワクしたい人。そんな人と、次の面白い景色を見に行きたいですね」